2017/01/03

つれづれ2016

2017年になりました。




おもむくままに散文詩しておりますので、読んでいただいても特に何か言いたいことがあるとかそういう内容にはなっておりません。アレです。ポエムです。ので、先に肝心なところだけ

今年はまた薄い本作りたいと思っています。薄い本か厚い本かわかりませんが、また夏か冬かもわかりませんが、
また、技術本かどうかもわかりませんが、
とにかく2015年夏以来ではありますがサークルで本作りたいなと思います。
よろしくお願いします。

〜〜〜

まず何をおいても、2012年から使っているMacBookPro Retina(MBPR)がだいぶ嫌な感じになった年でした。
夏前ごろでしょうか、スリープから復帰しないことがあり、しばらくすると「バッテリーが少なくなっています」表示もないまま落ちるようになってしまいました。気づくとディスクリートGPUが認識されなくなっており、そういえばグラフィック関連のトラブルあったなーと思いましたがジーニアスに持ち込んでもお手上げ。何か特定の問題が起きているというよりは、普通に老衰という感じでございましょう。
辛いですが、メインマシンを追加購入し、今はサブマシンとして頑張ってもらっています。
とか言いつつ、適当な軽さ・薄さ・パワー、ディスプレイの品質もあって、サブになったというよりは、メインマシンのまま特化用途にマシンを追加した、という運用になっています(特化用途のサブマシンの方が強くて重い)
Apple社製品はパワー重視のものはラインナップにないこともあり、追加したのはWindowsマシン。HTC Viveも購入し、VR開発したいぞーというところではありますが(中略)今の所遊んでいるだけです。楽しい。
そんなわけでMBPRはまだ騙し騙し仕事させられています。お世話になっております、今年もよろしくお願いいたします。と言っても原稿作業等がベースなので、だったらむしろもっと薄くて軽いのにすれば?という感じではありますが、あれですね、「薄くて軽くて液晶綺麗なの」とか気にしだすと、スペックの割に一気に価格が上がりますね。もうちょっとお手頃になっているかなとか思っていたのですが……なら頑張って買わなくてもいいか(お亡くなりになったわけではないし)……と。iPadProでの原稿作業とか気にはなりますが、もうちょい様子見。次の年越しごろにはやっているかもしれません。
原稿といえば、2016年アウトプットした文字は雑にカウントして191964字でした。20万字行ってるかなと思いましたが、2017年用の一部はカウントに入れませんでしたのでちょうどいいくらいなのかと。ということで、今年は30万字くらい行けたら行きたいなという心持ちであります。ちなみにこの数字と受注額とは照らし合わせてはいないので、いわゆる1字いくらかという確認はしていません。17年はそのへん気にしても大丈夫な、業務としての数字になるといいですね。いいのか?
今年後半はキュレーションメディア問題が顕在化していました。安い労働力の使い方、コンテンツロンダリング、情報汚染と、問題としてはかなり複雑です。1h1記事、字数は多ければ多い程良い、みたいな基準で1字1円をだいぶ下回る戦場。「賃金が安いのだから量をこなさなければ自分が困る、うそ情報を流すことになっても仕方がないし、流用かそうでないかも瑣末なこと」と働く側が思わざるを得ないという、モラルもなにも言ってられない現場ではありますが、さりとて「こうすればいいのにー」という神の一手で解決するような見通しがある事柄でもないわけで。(モラルといえば、「うなぎが絶滅しそう!」と話題になった時に「高くなるから今のうちに食おうぜ!」ってコンビニや牛丼チェーンなどの大規模流通網がキャンペーンじみたものを展開したのには、なんかもう海洋国家として海産資源を調整する知性もプライドもないもんだと呆れたものです)
(あとネット上の醜聞としてはDMMがはちまを(一時期)傘下に置いていた、というのもありました。会長が各方面に確認したところやばいということが認識でき、すぐに手放した、という切り込みがあったのも記憶に新しいところです)
取り急ぎ、賃金の安さが諸悪の根源なんだろうなーという感じはいたします。というところで、2016年は働き方に関する多くの問題も発露しました。アニメの現場が限界であることや、広告代理店の過剰労働といじめ自殺の二つは、なんというか「目立つ」例ですが、関連・類似も含め事例としては無数に発生している問題です。前者は、賃金面に注目すれば、海外資本案件(主に中国との)が一つの光明にはなりそうです。もちろん他国との仕事になるので大小の混乱を生みつつ進行するのだとは思いますが、これによってビジネス感覚のない状態で安く描き手を使い潰してきた悪習が順次淘汰されれればと思います。その流れの中で日本のコンテンツという部分での立ち位置まで骨抜きにされないようどう踏ん張るのか、消費者の買い支え等含め予断を許さない事案かと思います。
他方、後者は労働力を安く使い潰す事案とは別軸で、賃金が安いから常軌を逸した勤務になったというわけではないところが問題です。勢いよく働きたい人・採算度外視(金銭/生活等)で働きこうという人はそのように働けばいいのですが、その働き方を他人にも強要してしまう感性(多様な働き方を認める感性の不在)をどのように扱えばいいのかについて、これから知見や共通認識を確立していかなければならないということだと思います。今まではやはりそれを是とするか、あるいは問題としない(数字を出してるから問題があっても目を瞑る)状況だったわけです。
極論じみてますが、対策としては、自分が働くときにそのような状態に置かれたくないなら、自分が顧客でいるときに、それを強要してしまうような状況を作らない、ということなのかなと。低賃金問題と絡めて、とにかく社会には余裕はないので、働く上でも、働いてもらう上でも本当に気をつけねばならないと思います。もちろん高年齢層にたくさん投資してるからそこを削ればいいのだ!というのではありません。給料の多い人の足を引っ張ったら自分の給料が増えるわけでもないのと同じように、向こうの待遇が高いからこちらと同じくらいに下げろ、ではなく自分たちも同じくらい優遇しろという構えで行きたいものです(実現に関しては多分に政治的ですがそこはアレとして)。
ブラック労働的な部分では、年中色々あって各企業も慎重になっているかと思いきや最後の最後でドミノピザクリスマスの乱が発生するなどありました。こうした現場のキャパを考えない感じは、デニーズのパンケーキ食べ放題事件(2014秋)やすき家のワンオペ問題を彷彿とさせますが、後者に関してはむしろ2016年春ごろから改善、かつ業績的にも回復に向かっているという報せもあったりして、なんというか、強制的に安い労働力を貪らなくてもきっとちゃんとやればちゃんとできるもんなんだろうなという見方ができるような気がします。
そういうマスな大味な話題は議論は尽きない面がありますが、自分の身の回り、あるいは自分についての働き方についても、それなりに考えさせられる2016年でした。具体的には、今一度散漫にならずに業務に当たれるのはどれくらいの時間で、今まではそれをどれくらい体力で肩代わりしてきたかを、考えねばならないなあと。120%出してなんぼ、という働き方をしていたこともありますし、そういうときには「それくらいでなければ怠け」くらいの気持ちも湧いたりするのですが、今それをやると、次の日あるいは向こう数日にわたっておそらくアウトプットが落ちることになるでしょう(そういえば風邪の引き方・治り方も変わってきました。だらだら長引きがちに。。。)。だから出し惜しみするとかそういうことではなく。仕事は予想どおりにはいかないので、「いざとなったら120%出せばいいや」は害悪だ、ということを自分に今一度叩き込み直さねばならないということです。
うっかり120%出して状況を乗り越えても、そのあとのアウトプットが60%くらいに落ち込んではダメで、平均80%、やばい時でも最大100%で、そのあといかに反動を受けずに80%に戻せるかが課題です。
完全に頭の中での話なのでどうやって行こうとかは今の所ありませんがw 今は、現状の自分にそぐわなくなったパワープレイ的認識を改めたというところで、今年はいかにして理想というか机上の空論というかのそれらを多少なり現実に落とし込んでいくかという年にできたらと思います。
“神は細部に宿る”のは宿らせる時間をしっかり確保してから。いかにして60%の労力で80%のところに到達するか。みたいな。
それと、教えているときはそういうパワー配分とは別の取り組みをしないといけないような気もしています。専門学校の先生引き続き頑張ります。

(箸休め的に今年書いたCGW誌の記事など)







楽しいこともいっぱいありました。
2016年があれだけ楽しくて、反動で2017年どうやって生きればいいのか心配になるほど、
楽しい一年でした。
本当に完成するのかよと言われていたゲームがリリースされたり、公開前情報が少なすぎて不安だった映画がしっかりヒットしたり(数日前にも観に行きました)、インディーズだと思ってた映画監督が世界レベルのヒットを飛ばしたり、なんとエンタテインメント性の豊かな一年であったことか。
特に、一年に及ぶロングラン上映を達成したガルパン、美麗な映像と繊細な演出で難しいテーマを描いた聲の形、クラウドファウンディングから歴史的ヒットへ繋げたこの世界の片隅になど、国産劇場長編に限らず枚挙のいとまがないほどの快進撃、胸がすくようです。プリキュアの秋映画では武闘派プリキュア・キュアモフルンがかっこよかったです。映画ゲストキャラでは一番好きかもしれません。かねがねハチクロのBD出てないなーと思ってたんですが、ついにこの年末に出ました。ヒャッホウ。上映が伸びていた虐殺器官は2016年ではありませんがもうちょいで公開されます。
SFといえばもちろん、飛浩隆氏の新作単行本が10年ぶりに刊行されたことも、これらと並ぶ歴史的重要度で記録されたことでしょう。これだけで2016年は歴史に刻まれるに値すると言ってもいいのではあるまいか。『自生の夢』素晴らしいです。相変わらずビジュアル喚起力が凄まじいのに映像化不可能感が激しく漂う、言語による想像力ハックを受けている感覚が味わえます。そういえばVR元年と言われた今年ですが、10年前に刊行された『ラギッドガール』はそれ系の人には実にオススメです(「廃園の天使」シリーズの第二作です。第三作は2017年末に着手されるのだとか?目が離せませんね。)。
VRといえば、そういう方面を研究している方々とお話しした時に、昨今商品として流通するようになったVR機の内容は、研究レベルでは大体10年前くらいに終わったもの(大意)、という発言を聞けたのが印象的でした。きっと今、先端的で予算規模も違う具体的用途が不明な関連研究も、10年くらい経ったら降りてくるんだろうなと思いました(10年という時差自体は短くなるんでしょうが)。
VR同様、技術面でいうと機械学習もだいぶ盛り上がりました。写真を特定の画風に変化させるもの、またはそれだと見せかけて単なる合成(しかも使用素材無許諾)だったものなど。アプリケーションとして今後も増えて行くでしょうし、また大きなソフトの小さな1ツールとして組み込まれる・ワークフローを肩代わりする例もどんどん増えることでしょう。クリエイティブで補助してくれる方面が増えて、パターンだしなど人間を使わなくてもいい部分が減ってくれるのは嬉しいことです。
用途を特定したAIだと人間以上の成果を出すものも珍しくなくなってきた印象は、多分もう多くの人に共有されているものと思います。今度はそれらをつなげていく中で、また別のどんな景色が広がっているか、次の年越しあたりが楽しみです。
その頃には零號琴の単行本も手にできているかもしれません。それだけでも生きる希望が湧いてくるレベルです。

VR元年を過ぎた2017年、一体どんな楽しいことがあるか楽しみです。

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